2006年1月16日、夕方6時頃タイ航空で成田を発った。搭乗口で何かもたもたしていたせいもあり、予定よりバンコクに40分位遅れて夜11時頃着いた。
カトマンドゥへは翌日の10時20分の便だったから、その日はドンムアン空港内のトランジットロビーのベンチで寝ることにした。
さすがにバンコクは暑い、一年ぶりのアジアの空気だ。
ベンチに座り周りを見渡すとインド人やら中近東系、欧米人と世界中の人達がざわめいてる。刺激的な空気だワクワクする。幾ら疲れていてもこんな所にいたらすぐに寝れるわけじゃないので、ベンチの前で軽くポイを回して遊んでいた。
隣に座っていたパキスタン人と少し会話し、疲れてきたので寝ることにした。
たぶん夜中の1時過ぎだったと思う。
朝の6時前からざわめいたせいで嫌でも目が覚めた。まだ4時間以上カトマンドゥ行きの飛行機はでない。暇だから朝からポイで遊んでいた。掃除をしているタイ人のおばちゃんやツーリストが不思議そうな目で見て通り過ぎる。なんか初めは恥かしいような気もしたがすぐにどうでもよくなり、練習に没頭した。やはり僕はバカだ、自分でそう思ってしまう。
朝食をとり、出発ロビーで待つことにした。まだ早いせいかカトマンドゥ行きを待つ人は2〜3人しかいない。暇だ、またポイで遊ぶことにした。カトマンドゥに着くとまずVISAの申請だ。ネパールVISAは入国時に取れる。この時、VISAのことで日本人に声をかけられる。
数日後、この青年と偶然にもタメルの食堂で会うことになる。
空港からでると、大勢の客引きが待ち構えていた。僕のような大型バックパックを背負っている人は必ずトレッカ ーだとすぐにわかるので、トレッキングツアー会社の客引きが寄ってくる。この時、僕はガイドなしでナムチェバザールへ行く予定にしていたので、タメルまでのタクシーを探していた。ホテルが決まってないと必ずいいホテルがあると言って、そのホテルに連れて行こうとする。簡単には行きたい場所に行かせてくれないのがカトマンドゥである。
ちなみに空港からタメルまで150ルピー。普通200〜300ルピーでふっかけてくる。
タメルに着いたら、タクシーに一緒に乗ってきたネパール人のトレッキングツアー会社のところでルクラ行きの航空券を予約することにした。着いてみるとそのオフィスは5年前にアンナプルナトレッキングでお世話になった同じ場所にオフィスがあった。だが会社名は違っていた。
そんなことをスタッフに話すと、前はその会社が入っていたと知っていて話が通じた。
そして、その時のガイドは「バシュー」だったと話すと今はここで働いていると言い、すぐに電話をかけて呼んでくれた。5年ぶりの再会だった。バシューも憶えていてくれた。
「ジョムソンからムクティナートのトレッキングだったよな」って感じで。まさかまた会えると思っていなかったから正直ホントにうれしかった。しかし自分は今回ガイドを雇わない予定にしていたので、この場では断った。バシューにホテルを紹介してもらうため案内をしてもらった。
「HOTEL カーマ」一泊6USドル(ホットシャワー付)のホテルだった。そこでしばらく話をした。
話すほど辛いのである。ガイドを雇わないつもりできたから顔が見れない。でもこれは何かの縁だ、楽しくなるだろうと思い結局バシューを雇うことにした。
ホテルの電話を借りて日本で頼まれたお使いを実行することにした。お使いとは僕の遊びの師匠「南アジア料理GANESH」の店主にカトマンドゥいるネパール料理の師匠ドルバに、お土産の手紙とにごり酒を渡して欲しいと頼まれていた。
ドルバの携帯に電話をすると不通なのである。どうも政府が使用を止めてるらしい。ネパールではこんなことはよ くあることだ。しかし焦る。今日連絡が取れなければ明日からトレッキングに出かけるのでカトマンドゥを放れることになる。トレッキングから戻ってきても逢える保障はない。
何回か電話を借りて連絡を取ろうとするが、コールが鳴らない。気持ちを落ち着けるためにホテルの屋上でポイの練習することにした。屋上に上がると町並みが見渡せ、ネパールの生活が見える。
しばらくポイで遊んでから、もう一度お祈りをするかのように電話をかけてみた。
コールが鳴り、ドルバにつながった。ブルーになっていた気持ちが一気に晴れテンションが上がる。
ホテルまで迎えに来てくれてドルバに逢えた。うれしい!ドルバのアパートでは奥さんと子供二人が待っていた。お使いのお土産を渡し、一緒に食事をした。その時お土産のにごり酒をドルバと飲んだ。
ドルバは料理人、チキンもダルバット(ネパールの定食)もうまい。
一時的に停電になったが、キャンドルを灯し子供たちとポイで遊んでいた。僕が来るのを楽しみにしていたらしく、まーアンクルを呼ばれすぐに仲良くなった。(まー:僕のニックネーム)
カトマンドゥは入国の2日前にマオイストとの衝突でポリスに死傷者がでていたため、夜間外出禁止令がでていた。21時前にはホテルに送ってもらった。明日は7時ごろ発の国内線でルクラに飛ぶ予定となっていたので早く寝ることにした。長い一日だった。
翌日バシューが迎えに来て、タクシーで国内線の空港に向かった。フライトタイムは7時のはずだが案の定かなり遅れて8時頃となった。朝の空港は体の芯から冷えるほど寒かった。20人ほどしか乗れないセスナ機でルクラへ飛んだ。シートはガタガタでかなり古い。遠くのヒマラヤが見える。徐々に近づき約30〜40分ほどでルクラに着いた。ここは標高2800mほどで更にカトマンドゥより寒い。
飛行場近くのレストランで朝食を済ませ、ナムチェバザールへ向かい歩き始めた。出発は9時。
朝食を食べているときにバシューに「今日一日でナムチェまで行きたい」とお願いをした。
普通は2日かけて行くところだ。徐々に高度を上げるわけでもなく、アップダウンの繰り返しでダラダラ川沿いを歩く。約2時間でパクディンに着いた。ここで軽く休憩を取る。そしてまたひたすら歩く。
空は快晴、陽射しは強い。空気は冷たいが暖かい。標高は稼いでないが徐々に疲れてきた。
モンジョという町まで来た。ここで1時半ぐらいだった。いつになったら高度を上げるのだろうかと気になる。
もう疲れがピークに近く、この町で泊まろうかとも考えた。でもお昼と食べて休憩しているうちに疲れも回復してきてナムチェまで登る気になった。バシューに「さぁ行くぞ」と意気込み歩き始めた。
ここからが本当の登りとなった。ナムチェは3440m、ここは約2700mだ。バシューは約2時間ぐらいで着くと言っていたが、一気に標高をかせぐ登りだったためペースが急に落ちた。3000mを越えると空気の薄さも感じてきた。ついに左内腿がつりはじめた。キツイ!だましだまし歩くが、全然自分をだますこともできない。辛すぎて頭の中で「南の島へ行けばよかった。なんでこんな事してるんだ。」と心で叫び、現実逃避を繰り返した。去年バックカントリースノーボードで行った越後駒ケ岳より辛い。ホント泣きが入る。夕方4時半ごろナムチェに着いた。しかしここはすり鉢状の町で、ロッジに向かうにも登らなければならない。「もうボロボロだ、勘弁してくれ」と叫びたくなった。
二日間かけてナムチェまで行くという意味がわかった。バックパックが軽ければ楽だとは思うが、僕のザックにはたぶん10kg以上の重さがあった。でもこの行動はショートトリップしかできないサラリーマンの性だ。。。
ロッジに着くとチャイをもらい一息つく。体も冷えて、疲労感が全身を走る。5年前ムクティナートで感じた眠気も襲い、とりあえず部屋で寝ることにした。眠気は高山病の前兆で体が高度に順応しきれていない信号だ。頭が痛いわけではないので特別心配はしなかった。1時間半ばかり横になっていたら、疲労感も引いてお腹も減ってきた。みんなのいる食堂に戻るとストーブに火が入っていた。薪ストーブだから暖かい。
この時期はオフシーズンだから他にツーリストもいないので僕の貸切だ。
やっと体も暖まり調子がでてきた。やっぱり飲みたいなということでビールを頼んだ。「く〜〜うまい」がさすがに本調子ではない。高度順応していないせいと疲労からだろう。さすがに1本でやめておいた。
夕食を済ませると、今晩は早く寝ることしたが、興奮のせいか疲れているわりには寝れない。
明日はタンポチェまで行く予定を考えていたが、歩いて終わる旅では面白くないと思いタンポチェは諦めた。
朝起きてみると以外に体は軽く体調はよかった。朝食前に軽く散歩することにした。とりあえずタンポチェ方面に向かって歩いた。軽い登りだが呼吸は少し苦しい、やっぱり標高が高いことを実感する。
20分ほど歩くと視界にエベレストが入ってきた。ここまで歩いてきたんだという実感ともっと近づきたい気持ちが沸いてきた。昨日の夜諦めたタンポチェだが、目の前にすると行けるのに行かないと決めた決断が揺らぐ。しかしのんびりポイの練習がしたかったから、行かなくていいんだと揺らぐ気持ちを飲み込んだ。
ロッジに戻ると朝食を取り、ナムチェの町を散策と高度順応のために一日散歩に出ることにした。
散策といってもメインストリートをさっと歩き、すり鉢上の縁を登り上へ上へと登っていった。
町にはそれほど興味がないので、とにかく景色を見渡せる場所へと足が勝手に動いている。酸素が薄いせいで足取りは重くすぐに疲れるが、高度を上げるごとに景色が変わるのでテンションは上がる。
徐々にタムセルク(6608m)の姿が見えてくる。昨日の辛さが一瞬で吹っ飛んだ。空も真っ青だ。
ひたすら上を目指し登っていたがふと考えた。水筒にお湯が入っている以外、食料がない。のんびりできるところでポイの練習をしながら過ごそうと思っていた一日だから、お昼のために下山は面倒くさい。
上を見上げてもお店なんてありそうに見えないから悩んでしまう。まぁいいかと諦めて更に上を目指した。
岩にロッジがあると書かれている。もしかしたらビスケットでも買えるかもしれないと思い向かってみた。
そこに一人、お母ちゃんがいた。今はツーリストがいないオフシーズンだからロッジはやっていないと言っていたが、ビスケットはあるというので買わせてもらうことにした。そこでチャイを一杯ご馳走になった。
お礼を言って更にフラフラと散策をした。そこは大地となっており一軒の家が建っていた。子供が3人遊んでいたのである。近づいていくとトランプで遊ぼうと言ってくる。訳が解らぬルールのトランプに付き合うが、どうなると良くて悪いのかが全く解らん。解らんゲームに5分も付き合うと飽きてしまいポイを取り出し回してみた。もちろん子供も回したがり夢中で遊ぶ。しばらくして家に来いというのでお邪魔することにした。そこでチャイをまたご馳走になり、写真などを見せられた。子供たちと別れて更に上を目指した。どこまでを目標とするわけではないから気が楽だ。気づくと、ロッジが2〜3軒あるところに出た。そこはシャンポチェ空港だった。その辺の丘に上がりポイを練習することにした。
タムセルクをバックにポイだ!5分もしないうちに、肩がだるくなり回せなくなった。たぶん空気が薄いせいだ。腕を肩より上げるとすぐに疲れる。疲れたせいか急に眠くなり、昼寝をすることにした。
空気は冷たいが陽射しは強く暖かい。天気は最高だ。今頃、長岡の空は暗黒の雲に覆われ雪なのだろうなんて思いながらのお昼寝だった。
あっという間に2時間ほど寝ていた。目も覚めたところでポイを回し始めた。すると暇そうな軍人が、興味を示し5〜6人近寄ってきた。「どこの国の人だ、これからどこへ行く、どこに泊まっている」など、お決まりの質問攻め。そして遊んでいるポイを指差し「これは何だ?」「ちょっとトライしてみたい」と言ってきた。もちろん貸してあげて、遊び方を教えた。
軍人が帰ると今度は子供達がやってきた。ポイは子供達にはうける。しばらく一緒に遊んで楽しんでいだ。夕方になると一気に冷え込んでくるので4時前にはロッジへ戻った。
ロッジへ戻ると6時には夕食を食べた。体調もかなりいいのでビールでバシューと乾杯した。
今日はビールのうまさがよくわかる。ナムチェのお店で買ったポテトチップスをおつまみにビールを飲んだ。自分の部屋に戻ると友達が面白いと言っていた野田知佑の「旅へ」を読む。日本を出発してから読み始めていた。色々自分と重なるところがあり勇気づけられる。旅の中でどんどんはまっていく自分がわかる。
ナムチェの3日目。エベレストビューホテルへバシューと散歩に行くことになった。朝は気持ちがいい。
今日も朝から真っ青だ。エベレストビューホテルへ行く手前でもエベレストが見えた。徐々に近づいてくる。2時間も歩かないうちにエベレストビューホテルに着いた。オフシーズンということもあり、一人も宿泊客はいないようだ。ハイシーズンだったらさぞかしツーリストでごった返しているのだろう。
テラスへ案内されそこでエベレスト方面を眺めながらオレンジジュースを飲んだ。
ここで今回旅の目的になった「エベレストの前でポイを回す」を実行した。たぶんこんなバカなことをここでやるのは世界初になるだろう。記念に写真を撮ってもらった。静かなこのホテルは居心地が悪いので30分も居なかった。ここでガイドのバシューと別行動をとることにし別れた。このホテルから少し離れたところでしばらくエベレスト方面を眺めていた。実感が沸くようで沸かないが、実際自分はここまで来た。
もっと近づいてみたいが、今の僕にはここで十分だ。家族や仲間、パーマークのみんなに感謝とありがとうの気持ちで魂が熱くなる。
ここからクムジュンへ下る歩き。下るにつれてエベレストが見えなくなり、見えるのは左にタムセルク、背後にアマダブラム。クムジュンの町はきれいだ。ほとんどの家が白く塗られた壁でできており統一感がある。
クムジュンの道をクンデに向けてゆっくり歩く。とても静かだ。たぶんツーリストは僕一人だろう。
ヒマラヤと青空に囲まれ、ただのんびりと歩いたこの道は今回の旅で最も印象に残った時間だったと思う。
クンデの町でランチにすることにした。やっと見つけたゲストハウス兼レストランでヌードルスープを注文した。ここのおじさんはとてもフレンドリーで気持ちがいい人だった。
シャンポチェへの帰り道を教えていただき、またのんびり歩き始める。クンデを出るところに門があった。
標高3840mと書いてある。体が慣れてきたおかげで体調はいい。楽しくて脚は軽いのだ。
徐々に標高をかせいでいく。また目の前にタムセルクがそびえたつ。この辺で3900mを越えているだろう。
しかしホント誰にも会わない。誰にも会わないから、ついつい独り言でタムセルクに話しかけてしまう。
眼下にシャンポチェエアポートの滑走路が見えてきた。ここに来てこの周辺の地形と位置関係がわかった。
もう僕の庭だ。ナムチェへの下りは早かった。ナムチェのインターネットカフェでメールチェックとパーマークへ今のところ無事の報告。しかしここのネット使用料金は高い30分で確か450ルピーも取られた。
でもヒマラヤの電気事情を考えれば仕方ないわけだ。
ロッジへ戻りチャイで一息ついていると、バシューも戻ってきた。なんと布団とシューズを買ってきたのだ。
中国製でカトマンドゥで買うよりかなり安いらしい。金曜の夕方から土曜にかけてバザールが始まる。
僕はバザールへ出かけ、缶ビールを8本買い込んだ。ロッジ価格の約半額だ。うれしくて早速飲み始めた。
この夜はビール4本、チャン3杯。全く高山病には無縁の僕。
最後のナムチェの夜。星を見るために夜中ロッジを出た。エベレスト街道沿いに光が届かなくなるところを目指し歩く。
もっと先に行きたかったが、突然谷からの突風が乾いた砂を巻き込み砂嵐をおこした。体が少し浮く感じが・・。
砂嵐で視界もなくなり、全く足元も見えない。砂が目に入るので目が開けられない。恐る恐る風がないところまで後退した。これ以上行ってはいけないとお告げがあったのだ。
寝転がって空を見上げる。口を開けっぱなしで3時間は星に釘付けになっていたような気がする。
今まで見たことがない無数の星だ。放心状態で感動しながら色んなことを考え想像していた。ヒマラヤの星はホントきれいだ。飽きないってこんな瞬間なんだなあ。ロッジに戻るタイミングを何回逃したことだろう。
ナムチェからルクラへ下山。空港近くのロッジに泊まり翌日のカトマンドゥへのフライトを待つ。
夕方、バシューにローカルパブへ連れて行ってもらう。看板も何も出ていないところだから、一人だったらまず立ち寄れないだろう。ここでロキシーをご馳走になった。ここの主人はロキシーをネパリーワインと言っていた。5年前にもロキシーを飲んだことがあるので、久しぶりの味に感動!疲れた体にしみこむ。
夜、ロッジの食堂には多国籍で15人は宿泊客がいた。久しぶりに人のざわめいた雰囲気が味わえた。薪ストーブで暖をとりながらみんなテレビに釘付けだった。半分以上の人がカトマンドゥへのフライト待ち。
カトマンドゥへのフライト。ここでトラブル発生!チケットを買っていた飛行機が予定の時間になっても飛んでこない。遅れてくるのはネパールだから仕方ないが、あまりにも遅い。前日は強風のため全便飛ばなかったと聞いていたが、今日は風なんかたいして吹いていない。情報も流れないので不安になる。ど〜んと休みがあれば気にもならないが、2日後帰国予定であるから今日飛ばなきゃ明日もわからない状況になる。さすがに帰国便に乗れませんでしたでは冗談にならない。結局、その飛行機会社はスタッフがサボったらしく人手がいないということでドタキャンとなった。普通ありえない話ではあるが、ネパールはそんな国である。
急遽、他の飛行機会社になんとか頼み込んで乗せてもらえることになった。カトマンドゥへ戻ると早速キャンセル分のルピーを返金の手続きをした。時間が2時間かかるというので、その間はバシューのアパートでビールを飲むことになった。5年前と違うアパートで広く屋上にもあがれた。屋上でまったりビールを飲んでいた。キャンセル料金を受け取ったら、夕方まで時間があるのでボダナートへ行くことにした。
。巨大ストゥーパはちょっと感動。しかしそこを囲むお土産屋さんはツーリスト目当てで値段は高い。
その夜ドルバに会う約束だったから夕方携帯に電話をしようと電話屋さんへ。運悪く政府が携帯電話の使用を完全に止めてしまっていた。いつ?復旧するのかと聞いてもたぶん2〜3週間先じゃないかとみんな言う。残念ながらドルバに会う手段が断たれてしまった。政府とマオイストの争いのとばっちりである。
日本へのお土産を持っていく約束と子供達と遊ぶ約束がはたせなくなってしまった。仕方ないのでゲストハウスを探して泊まるところを探すことにした。たまたまバシューの友達がいたので紹介してもらった。(一泊150ルピー)
飯をどこかで食べようとふらふらタメル地区をしばらく歩いた。基本的に5年前とあまり雰囲気に変りないが懐かしいと言えば懐かしい。でも街に魅力は感じられない。ドルバに会えないショックも関係していると思う。
途方にくれて、たまたま入った食堂で入国するとき声をかけてきた青年(A君)と偶然再会してしまった。
翌日、日本で頼まれたお使いを実行することにした。それはパーマークのお客さんのネパール人の友人に会って連絡先を聞いてきて欲しいとのことだった。最後に連絡が途絶えたのが今から約25年前との話し。
手がかりは約25年前に届いた結婚式の招待状に書かれている「マンダラトレック」というトレッキングツアーオフィスの住所と電話番号。25年前にこの会社をつくったらしい。
タクシーの運転手に聞いてもみんなわからないので、同業者に聞いて見ることにした。電話帳で調べてもらい電話番号や住所が違うが「マンダラトレック」を見つけることができた。地図を書いてもらい尋ねてみた。
もう10年以上前にやめていたらしく、今はどこでいるかもわからないと言われたので諦めた。さすがにこれ以上は手がかりがないし。
お昼からダルバール広場で昨日再会したA君と待ち合わせてのんびり建築物と人を眺めていた。
どうもデモが起こる予告があったらしく、ポリスがあちこちに待機している。路上に広げているお土産屋さんもデモが起こるので店をもうすぐ片付けると言っている。結局デモは起こらなかったが、改めて最近の治安の悪さを感じてしまった。
この日は最後のネパールの夜。A君と夕飯を食べる約束をした。モモ(チベット餃子)をおつまみにビールを2人で3〜4本あけた。何回食べてもモモは絶品である。この食堂はトゥクパ(チベットの麺類)もとても美味しい。
ビールを飲みながら旅の話は尽きなかった。A君はこの後、インドのダージリン方面へ向かうと言っていた。
出発の日。朝ちょっと早めに起きて散歩した。朝が一番いいかもしれない。働きに向かう人たちと、商売を始めようとする人たちで、朝からざわめいている。この雰囲気を味わっている瞬間がいい。どこに向かうわけでもないが3時間ぐらいは歩いていただろう。昼食を食べに食堂へ入った。これが最後のカトマンドゥでの食事だ。
またモモを食べてしまった。よく飽きないと自分でも思う。食堂から出ると路上に人だかりができていた。
覗いてみると、路上が炎上していた。そしてポリスだらけだ。軽い暴動のようだ。
ゲストハウスに戻り、パッキングをしタクシーで空港へ向かう。5年前より出発ロビーが広く新しくなっていた。
ネパールも少しずつ発展しているのだ。2時ごろ出発でバンコクだ。6時ごろ到着。成田への出発は12時前なので軽く5時簡以上の待ち時間がある。暇だったからタイ式のフットマッサージを受けることにした。僕はたしか5日前からシャワーを浴びていなかったので、マッサージのおばちゃんは鼻をつまんで僕の足がめちゃくちゃ臭い臭いと言っている。
笑われながらマッサージを受けていた。インド人的に言えばノープロブレムである。
トランジットロビーも飽きてしまい、少し早めであったが出発ロビーで待つことにした。ガランと人がまばらだった。
暇つぶしにポイを回して遊んでいた。徐々に人が増えたかと思うと、めちゃくちゃ混み始めた。同じタイミングで韓国行きの飛行機がでるようだ。椅子を韓国人のおばあちゃんにゆずり、フロアに座りながらぼーっと眺めていた。
日本に帰る前のこの待ち時間が一番複雑だ。色々なことが頭を巡る。さあ帰国だ。長岡に帰るぞ! |